ライフプランと自己実現への手応えを感じる場所。

垣内大樹 / Daiki Kakiuchi / ソムリエ

A_RESTAURANTパティシエ金子世菜

実家は家族経営の寿司屋でした。飲食業という環境で育ったので、小さい時からフグ屋さんになるとか寿司屋さんになるとか、ビジョンというか意識があったように思います。

早く仕事に就きたいという気持ちもあり、大学を目指しませんでした。金沢の商業高校に進み、就職活動の時期になると、ますます飲食やサービス業のを行きたいという気持ちが強くなりました。

最終的に、子供のころ家族でホテルで食事をしたときのホテルマンに憧れもあって、金沢のANAクラウンプラザ・ホテルに就職することができました。

宴会から始まり、レストラン業務などの仕事をする中で、ラウンジでカクテルを作る機会が増えました。そこでお酒にも興味を持ち、ワインにも触れました。その時のワクワクした感じがソムリエへの道を歩み出すきっかけだったと思います。

その後、フロント係に移動したのですが、ソムリエの資格を取りたいという気持ちになり、チャレンンジすることに。当然、上司や周りからは「どうせ一度は落ちるだろうけどいい経験になるよ」などと言われました。でも、そう言われたことで逆に火がつき、ぜったい受かってやる!とフロント業務を続けながら1年、実質半年間がむしゃらに勉強し、幸いにも1度目の試験で念願のソムリエとして認定されました。

それからも、ソムリエバッジをつけたままフロントでチェックインなどの仕事をしていたのですが、やっぱりソムリエの資格をとったからにはレストランで働きたいという気持ちが強くなり、フレンチの名店ポール・ボキューズへ移ることになりました。

もちろん、すぐにソムリエとして使ってはもらえません。出てきた料理をホールまで運び、皿を下げてくるというだけの仕事が続きました。もちろん、お客様と話すこともほぼ無く、ワインに触れることもありませんでした。

半年ほどたってホールサービスの方へ移り、9ヶ月目くらいでやっとワインに触ることができました。さらに時間をかけ少しづつ仕事を任されるようになり、やっとソムリエのポジションに行き着きました。初めてテーブルを担当した当初は、グランメゾンの格式もあり、所作や歩き方など随分注意されました。アガリ症で人前で話すのが苦手だったのですが、月一回のワイン会などでプレゼンテーションなどで鍛えられ、徐々にお客様と自然に会話できるようになりました。

一つ一つの仕事に対してしっかりした意識を持つことや、コツコツとした小さな努力が身を結んでいくことを身をもって体験できた時間でした。

そして、自分のライフプランには28歳までにフランスに行くということがありました。人生のターニングポイントにもなった日本ソムリエ協会のスカラシップ(奨学金制度)にも挑戦しました。1回、2回と最終には残るのですが、慣れたとはいえ、アガリ症も出て受賞にはいたらず、3回目でやっと受賞することができました。フランス、チリ、ベルギーへ行くことができ、いい経験になりました。と同時に次の新しいことへの意識が高まってきました。

当時、働いていたレストランでは自社直輸入のフランスワインが中心でした。ソムリエになって、自分には国内外・生産国・地域にこだわらず自分が選んだ素晴らしいと思えるワインを、生産者のことも伝えながらお客様に楽しんでもらいたい、新しい発見をしていただきたいという気持ちが芽生えました。

そんな折、A_RESTAURANTのお話を聞き“レストランでありながら実験の場であり、ミュージアムでもあるここなら、自分の目指す表現ができるのでは”と考え、転職を決めました。

ここは新しくスタートした場所で、全くの自由。老舗店のように決まっていることがありません。その分、考えるべき新しいことが山積みです。でも、自分で課題をどんどん見つけ、仲間たちと解決するという楽しさは他では味わえないことだと思います。

ソムリエとして言うならば、さらに自由に、ワインのみならずノンアルコールの分野の開発も積極的に進めていこうと考えています。

これから私たちのレストランに参加される方には、自分の限界値を決めないでほしいと思います。仕事は自分で作る。現状に満足しないで、ということでしょうか。

また、慣れないうちは少し厳しいと思えるかもしれませんが、知りたい、学びたいという皆さんには、自分が教えられた、お客様を楽しませるトーンや笑顔でいることなどを丁寧に一生懸命伝えることで、自己実現とライフプランの実践に役立ててもらえればと思います。

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