家庭と好きな仕事が両立できる。 はたらく環境とチャンスがここにはある

竹下 哲広 / Akihiro Takeshita

A_RESTAURANT竹下バーテンダー

自分は、音響専門の学校に通っている時にコンサートの現場などで音響アシスタントをするようになり、卒業後もそのまま3年くらいフリーで働いていました。
金沢に戻る転機となったのは父親が他界したことでした。長男でもあり、母親を一人にしておけないということもあり、地元で大手電機メーカー関連に就職しました。

技術的なことが好きだったこともあり、不満なく仕事をしていたのですが、いつからか遠ざかっていた音楽がある場所を求めるようになっていました。自分にとって大切なものを生活の中心にしたいと思い、会社を辞めました。そして音楽を聴かせるバーのようなところに勤めることになるのですが、これが飲食業に関わった最初でした。

その店の閉店が新たな人生の契機となりました。まだ20代でしたが、独身だったことや若さも手伝って、自分一人でライブができるお店を始める道を選びました。小さな店でした。そして結婚もしました。いま思うと、金沢に戻ることにした時から、自分の決断にはいつも家族というものがあったと思います。そんな中で子供にも恵まれました。

開店した当初は、お酒を出す店で働いたことがあるとはいえ、バーテンダーの仕事を正式に学んだこともなく、ほぼ自己流でした。それでも、音楽が好きな人や海外の旅行者の人たちが夜な夜なお店に来てくれ、大変ではありましたが、希望していた音楽のある場所での仕事ができ、自分としては充実した毎日だったと思います。

それでも、5年くらい経ち、子供も大きくなり、将来を考えるようになりました。好きで楽しいとはいえ、夕方に店を開け、朝方帰宅するような毎日をこれからも一人で続けていけるのか、家族との時間はこれでいいのか、生活はしていけても収入が安定しているとはいえないし、病気になったらどうするのかなど、一年くらい悩みました。

その頃、この会社のお話をいただきました。最初に思ったことは、求められていることが自分のスキルでは対応できないのではないかということでした。でも、研修する場所があることや、会社が自分の状況を理解した上で話してくれているのだということが伝わってきて、転職の不安感よりもゼロから一緒にやりたいという気持ちが湧いてきました。

飲食業界では曖昧な労働時間や休日なども、しっかり管理されていますので家族との時間もたくさん取れそうで安心でした。 ここならもう一度、「自分の夢を、一人ではなく仲間と一緒に、家族に負担をかけずに作っていけるはずだ」という思いにいたり入社させてもらうことにしました。

店がオープンするまでは、ダイニング・レストランのバーでお酒の作り方や所作などを学びながら、他の日はオフィスの会議に参加したり、自分が提案したカクテル用のオリジナルシロップをテスト・キッチンで実験的に作ったりしてきました。

また、東京で行われる飲食関連のイベントやセミナーにも出席させてもらっています。さらに、会社の資格取得支援を利用して「ラム・コンシェルジェ」という試験を受け認定してもらうことができました。一人ではお店を休業しないとできないことばかりです。改めて一人でやることだけが自由ではないのだと思いました。

実際にレストランの営業が始まり、今はシェフやソムリエ達と一緒に、まったく新しい概念のドリンクを開発しています。そしてこのレストランは、自分の原点でもある音にこだわった環境になっているので、ワインと料理のペアリングのように、いつかは「音楽とカクテルのペアリング」に挑戦するつもりです。

ここでは常識にとらわれすぎないユニークな発想を持ってる人たちにも参加して欲しいと思います。一緒に仕事をして新しい世界を作れるかもしれません。逆に自分の生き方を変えてみたいという人にもあっているかもしれません。会社や仲間が後押ししてくれるはず。ただ、自分から一歩踏み出して歩き始めないと何も始まらないということは、自身の体験から伝えたいと思います。

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